ハーキュリー追悼

ハーキュリー追悼

追悼コメント

さらば、迷馬ハーキュリー! 藤原様 2004/6/13

ハーキュリー馬術部に来たのは私が3年生の終わり頃(1982年)でした。

当時、主にこの馬に乗る係は私、名前を付けたのも私でした。

この名前は、私が子供の頃にTVで見たアメリカ製のヒーローアニメ

「マイティ・ハーキュリー」からとったのと、

この馬の旧名が「博竜(ハクリュウ)」で、語呂が似ていたからです。

教養不足のため、「ハーキュリー」が「ヘラクレス」の英語読みであるのを知ったのは、ずっと後のことでした。

臆病で、何かの拍子に驚いて後ずさりする癖に皆心配し、一方で障害に向かわせれば、物怖じせず飛越する能力に期待もさせられましたが、20年以上も千葉大に残るとは誰も想像していなかったでしょう。

私が4年生の時に、この馬と出させていただいた

馬事公苑の関東学生選手権では

1日目はスタート係の兄ちゃん(の派手なシャツ?、振った旗?)に驚いたのか、スタート線から後退する一方で屈辱のスタート前1分失権、しかし2日目は障害を落下しながらも完走と、誠にこの馬と私らしい結果でした。

訃報を知り、「自分の青春が終わったようや」と言ったら、妻に「厚かましい、あんたいくつやと思とんの?!」と返されてしまいました。

自分の学生時代にいた馬がまだ現役でいるということが、私の若き日と現在の私を繋ぎ、知らず知らずのうちに私の精神年齢を若くしていたのかもしれません。

最後にハーキュリーに騎乗させていただいたのは14年前でした。

その後も元気でいることを、現役生にいただく年賀状や暑中見舞で知り、

いつか妻や娘たちにも会わせてやりたいと思っていたのですが、

実現できなかったことを深く後悔しています。

遠く三重県から冥福を祈ります。

ハーさん H.N.きのこ様 2004/06/11

ハーさんとは1年半くらいのつきあいでした。

はじめは、ハーさんは全然言うことを聞いてくれなかった。(伝わってもなかったけど…)

でもそのうち、足を上げてくれるようになったり、左手前のかけあししてくれるようになったり、

(相変わらず馬装のときには逃げられてたけど)

とにかく自分の馬術の上達を知るのはハーさんに乗ったときでした。

歯が悪いのに嬉しそうにキューブをかじるキューブ好きなハーさん。

第三馬場の入り口が開いてるのを目ざとく発見して、エルたちを引き連れ柵の外に居たハーさん。

引き馬中に暴走してピーターパンみたく空を飛ばせてもらったこともありました。

太い首に抱きつくとハーさんの体温が伝わってきて、悩んでるときはその胸で泣かせてもらったりもした。

ハーさんとにかく、お疲れ様。今まで本当にありがとね。

いっぱい休んで、でも時々暴走してください。

また近いうちに馬場に会いに行きます。

ハーキュリーさようなら 山木屋ジョイフルオートキャンプ場吉村様2004/6/10

福島の吉村です。

ハーキュリーの訃報をお聞きしました。

夢中でやってた馬術部の日々を思い出しています。

元気なハーキュリーが障害を前に後退する姿やら

短い足を一生懸命のばす姿やら・・・

20年も前の記憶が はっきり思い出せます。

’青春’なんて言う言葉は、私にはないぞ、

’青春’を語る大人にはならないぞ、

・・・と 思ってきたけれど  

ハーキュリーと一緒にいた頃がそうだったと

今、思います。

ずっと生きているような気がして

会いに行かなかった自分が残念です。

さようなら ハーキュリー

ハーキュリーの思いで 浦田コーチと同期の古いOBの方 2004/06/10

いつかは来るとは分かっていたことですが、

殿山ガーデン時代からの20年以上に渡って活躍してくれた

ハーキュリーの永眠を残念に思います。

頭の良い彼は、悪い意味で馬事公苑を覚え、

馬事公苑の試合になると飛ばなくなり、

現在JOC会長の竹田恒和氏のアドバイスを受けたり、

加藤君に馬と供に馬事公苑での合宿に

参加してもらったり色々苦労しました。

器用な馬なのでこの頃から馬場にも使い始めましたが、

その後踏み足変換は出来るようになったのかな?

本人は嫌っていたかもしれませんが、

軟らかい白い鼻を触るのが好きでした。

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